キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

冬の枯れ野原

アニマルコミュニケーターになる前、冬の野原は淋しいと思っていました。

樹や草は枯れはて、花も咲いていない…単に、殺風景と思っていたのです。

 

この仕事をするようになった冬のある日、
私は公園で、藁みたいになった枯草の上に立っていました。
そのころ丁度、樹に話しかけたりして、樹の方も答えてくれるようになっていました。
それが楽しくて、今日も聞いてみようと、意気揚々としていたのです。

私はその時、公園内のひときわ高い樹に意識を向けていました。

 

この後起きたことに驚きすぎて、何を聞いたか覚えていないのですが、

ひときわ高い樹に向かって、私は質問をしたのでした。

驚いたのは、答えてきたのが、足の裏の藁みたい枯草だったからです。

 

(私がお答えしましょう)という声が、足の裏から聞こえてきました。
正確には、足の裏からそう言われたという感覚が、上ってきた感じでした。

私は驚いて、足をどけその枯草を凝視しました。

(あなたは誰ですか?なんで、あなたが答えるのですか?)

すると、藁のような枯草はふふふと静かに微笑んだのです。
今度は枯れ草だけでなく、
枯れ草が密集している地面全体から聞こえてくる、
響いてきた感じでした。

 

微笑みはとても静かな気高いものでしたが、こんな体験は初めてだったので、
私は激しく動揺していました。

(あなた誰か知らないけれど、私はあの背の高い樹に聞いたのです)
と、言い返したのです。

そう聞いた後に返って来た、静かな優しい声色、振動と言えばいいでしょうか。

それは、今でもハッキリ覚えています。

(私はずっと昔、あの樹でした。そして今でも、あの樹の一部なのですよ。)

 

その時は、あの枯草に言われたことがわかりませんでした。頭ではわかっても、
咀嚼し自分の言葉で説明できる意識が、私の中でひらいていなかったのでしょう。

今も、充分わかっているとは言えないですが、あの頃よりは理解できるようになりました。

 

あの公園の大きな樹、小さな樹、低い灌木や雑草まで…
全ては、1つの樹として草として生きているのではなく、
公園全体の生命として生きているのだろうということです。

 

現代社会に生きる私たちは、あまりに「個」になりすぎていると、

コロナ騒動を見聞きする度、痛感しています。

高い樹、低い灌木、枯草は全く別の生命体で、

響き合うこともなく、そっぽを向いているようなものです。

 

テイッシュが無くなるというデマが流れれば買い漁り、

マスクの列に並んだ人たちは、横入りだと揉めて殴り合う。

 

この話を読んでくださった方は、そんな争いから逃れ、
冬の公園に立ってみることをお勧めします。

すぐに樹の声が聞こえてくることはないかもですが、
深い呼吸をし
風の声に耳を澄ませてみましょう。

 

そちらの方がずっと、免疫力が上がるというものです。

 

 

 

  • 2020.02.28 Friday
  • 22:55